昨日、一昨日とこの辺では珍しく積雪となりました。


特にこの数年は、雪はおろか、冬の間に2から3回ほど薄氷が張るくらいのもので、暖冬続きだったことから、久しぶりの雪だなぁ、といった感じでした。



とは言え、薄っすらと化粧をしたくらいの積雪です。


これくらいで寒いと言っていたら、被災地の方には、申し訳ない限りです。



お地蔵さんの前の水は、ガッチガチに凍っています。


お堂で座ってたら、冷たい空気に触れて、手が痛いので集中できません。



朝陽がとても美しく、空の変化により光が常に違うグラデーションを生んで見ていて飽きませんでした。



朝日はこの世の全てのものに平等に訪れ、くまなく照らしてくれます。


仏の慈悲によく喩えられますが、この日の朝日はとても優しく奥の深さを感じさせる輝きでした。


久しぶりの寒さが、毎日当たり前のように顔を出す太陽の光が同じ朝ではないことを気付かせてくれます。



こんな話があります。


西国一の戦国大名となった安芸国の毛利元就は、子供の頃に両親が早くに他界し、実兄も大内氏に従って京都へ従軍。


当主がいないのを見た家臣に自身の領地であった安芸高田猿掛の年貢を押領され、幼い元就は食うにも困り、地元の民から「乞食若殿」と揶揄されました。


母親に続き、父親も亡くなった後には、実母が亡くなった後に父の元に嫁いでいた後妻が育て親となります。


その後妻さんは、とても仏門に信心帰依の心の深い方だったらしく、旅の僧が逗留していると聞くと、そこへ元就を伴い訪ねては教えを聴きに行っていたそうです。


そこで、旅の僧より朝日に向かい手を合わせて念仏を唱えることを教わります。


それを生涯続けた元就は、ついに西日本で1番の大大名となりました。


現在でもそうですが、安芸国は一向宗徒の多い地域で安芸門徒と言えば、浄土真宗さんの門徒の多い地域の代表格です。


元就もその地域性から、南無阿弥陀仏の安芸門徒の1人でした。


ですから、朝日に向かい南無阿弥陀仏を毎朝10反唱えたという風に、風説が伝わっている訳ですが、一僧侶である私の立場からしますと、この説は少し違和感を感じます。


どのような違和感を感じるのか?


と申しますと、


その旅の僧が浄土系の念仏聖だったなら、西を向いて夕陽に向かって南無阿弥陀仏と唱えなさい、というのではないか?


と思うのです。


朝日に向かい念仏を解いたのは、密教系の高野聖ではなかったか?


なぜならば、真言・天台の密教には「日想観」という行法があるからです。


これは、作法に基づき朝日に向かい念仏=真言=マントラを唱えてそこに仏を観想するというものです。


安芸高田は山岳部であり、山伏修行の山である中国一のお山・「大山」に向かう道中でもあります。山岳仏教の行者がその道すがら、時折この地に逗留していたとしても不思議ではありません。


逗留の御礼として、法話や観法の伝授を行なっていたとしてもおかしくはないでしょう。


兎にも角にも、朝日や夕陽を観て美しいと想う心は、元就の時代に生きた人たちも、今の時代に生きる私たちも同じく、永遠破滅に変わらない部分ではないでしょうか。


雪が深々と降り積もり、人の訪れが絶える時期の高野山の静かさが、ある意味では一年の内で最も美しく感じるように、常に移ろいゆく物事の変化に合わせながら、どんな時にも常に美しさを見出せる心でありたいものです。


久しぶりの雪でした。


ありがたいことです。